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2019年4月 1日 (月)

陸奥の艦橋も考察

ココログがリニューアルされたのでちょっと混乱しています。慣れりゃいいのでしょうけどね。記事作成画面でいろいろやってみる為、陸奥について書いてみましょう。陸奥はあまり調べていないのですが、同好の士とのやりとりの中で辿り着いたひとつの結論がございまして。

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アオシマの1/700陸奥を用いて左舷だけ改造してみました。右舷が従来考証ですね。
それを反転して「海人社傑作軍艦アーカイヴ3」の106ページ掲載写真と比較。

陸奥の従来考証は大改装完成直後のまだ煙突に機銃台も無い頃の図面をベースとしており、それは必ずしも開戦時の状態を完全に表現したものでは無いと思います。開戦前後の良い写真も少ないようで、止むを得ないところはあるでしょう。したがって陸奥も再考の余地は残っております。


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陸奥の羅針艦橋後部も開戦時には長門と良く似た改装がなされている可能性を考えております。具体的には、60cm信号探照燈が哨信儀付き双眼望遠鏡の射界を遮らないようにブルワークの外に追い出され、なおかつ少し低い位置に下げられているという考え方です。

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こちらは製作途中の一枚。立体化するとこういう状態になろうかと思います。

Mutsu_research006
引用元/海人社「世界の艦船 1994年11月号増刊 新版・連合艦隊華やかなりし頃」86ページ。

写真の解説では前檣楼のどこかという事ですが、哨信儀(山川燈)や斉動信号燈らしきものからして、おそらく羅針艦橋の後部左舷であろうと考えております。陸奥開戦時のこの部分は明瞭な写真はありませんが手掛かりとなりそうな一枚です。

Mutsu_research002 Mutsu_research010  
そしてこれら不鮮明な写真からは大改装直後のシンプルな形状と比べると60cm燈の部分が少し低くなっているように感じられます。哨信儀と60cm燈が同じレベルにあると何かと不都合ではないでしょうか?哨信儀のあるブルワーク平面形も影の出方からして三角形の可能性は高いと思われます。

とりあえずこんなところで。
またいろいろ追記しておきます。ココログに慣れるために。
なんかいろいろ変ですわー。しばらくブツブツ言ってると思いますが笑。



参考文献/引用元。

海人社「世界の艦船 1994年11月号増刊 新版・連合艦隊華やかなりし頃」/海人社「世界の艦船 2017年2月号増刊 傑作軍艦アーカイブ3 戦艦長門型」/他

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